投書: 「おもいうかぶのは、彼の笑顔だ」 厚木で、第2回「モハマッドを偲ぶ会」(『かけはし』2025年8月25日号・第2875号)

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6月14日・土曜日、えびな市民活動センター・ビナレッジ(厚木駅から徒歩約10分)で14時から15時50分ごろ第2回「モハマッドを偲(しの)ぶ会」がおこなわれた。「偲ぶ会」には、約80名が参加した。
 主催は、「地球のステージ」だ。モハマッド・マンスールさんは、2025年3月24日にイスラエルからの攻撃により亡くなった(享年28歳)。彼は、朝日新聞の通信員であり、NPО法人「地球のステージ」の現地スタッフでもあった。
 「偲ぶ会」の司会は、後藤明子さんだ。最初に、もくとうがおこなわれた。「立てる人はおたちください」。
 次に、朝日新聞社の田村剛(たむら・つよし)さんがスピーチをおこなった。「マンスールさんの存在はおおきかった。マンスールさんが殺害されたのは停戦崩壊6日後だった。深い悲しみといきどおりをおぼえた。ガザでの死者は5万5千人をこえた。マンスールさんの遺志をうけついで、ガザの実情をつたえていきたい」。
 朝日新聞社の高久潤(たかく・じゅん)さんはビデオメッセージをよせた。「おもいうかぶのは、彼の笑顔だ」。
 「地球のステージ」の石橋優子さんも発言した。
 「モハマッドとはじめてあったとき、彼は13歳だった。2023年10月7日、青森でハマスの攻撃を知った。いきどおりをおぼえた。モハマッドは自分のことより私(石橋さん)のことを心配してくれた。日本のみなさんに感謝していた。戦争が終わったら、日本に行きたいともいっていた。3月24日、ホテルの部屋でモハマッドからメールが来た。モハマッドから続きのメールが来るんじゃないかと思うことがある。彼がいたからこそできたこともたくさんあった。ガザの人たちは、モハマッドの死をまえむきにとらえている。モハマッドがみまもってくれていることを信じて活動していきたい」。
 続いて、「地球のステージ」の桑山紀彦(くわやま・のりひこ)さんが映像にあわせて歌を歌い、ギターをひいた。
 その後、「地球のステージ」の佐藤真喜さん(写真担当)が発言した。「ガザに人びとが生きていることをつたえたい。ガザに平和がおとずれることを願っている」。最後に、「地球のステージ」代表理事の桑山紀彦さんが発言した。「世界の問題に見て見ぬふりはしたくない」。
 約130名が参加した「6月14日のモハマッドさん撮影の写真展」の方は、時間がなかったので、「ごあいさつ」の部分だけ、さっと読んで要点をメモしてきた。
 「2009年8月3日、13歳だったモハマッドにあった。2023年10月7日、ガザ戦争がはじまる。朝日新聞社から現地通信員を探してほしいと依頼された。モハマッドを紹介した。2025年3月24日、モハマッドの訃報がとびこんできた。モハマッドが30歳、40歳、50歳になっていく姿を見たかった。モハマッドは、戦争という困難があっても生き続けようとする人びとの命を撮影し続けた」(精神科医、心療内科医、医学博士 NPО法人「地球のステージ」代表理事 桑山紀彦)。
 ジャーナリストの殺害は国際法違反だが、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の報告書によると、2006年から2024年のあいだに世界中で1700人以上のジャーナリストが殺害され、その約85%が裁判にいたらなかった。ガザでは2023年10月7日以降、すくなくとも122人のジャーナリストやメディア関係者が殺害され、おおくの負傷者がでているという。
 モハマッド・マンスールさんのおもに写真展についての記事が以下で紹介されている。2025年6月15日・日曜日『神奈川新聞』19面(砂田弘明記者)。2025年6月15日・日曜日『朝日新聞』朝刊23面・「横浜 川崎」版(長島一浩記者)。
  (2025年6月22日)