投書:相模大野で朝日新聞の講演会 

 同じような意見の人は社内にもいる(『かけはし』2025年9月22日号・第2879号)

匿名希望

 7月18日・金曜日、コラムニスト(「天声人語」前筆者)の山中季広(やまなか・としひろ)さんによる「朝日新聞スペシャル講演会『天声人語フラフラ日乗』」が14:00開場、14:30開演、16:00終了予定のスケジュールで、相模原南市民ホール(小田急線「相模大野」駅から徒歩10分ぐらい)においておこなわれた。主催は、朝日新聞社と神奈川北部朝日会だ。参加者は、242名(「朝日新聞の関係者」をのぞく)だ。
 司会は、門直人(かど・なおと)さんだ。主催者あいさつを、神奈川北部朝日会の小田良一会長がおこなった。 
 講師の山中さんは1963年生まれで、1986年に朝日新聞社に入社した。ニューヨークに7年、香港に3年、ボストンに1年駐在した。ユーゴスラビア紛争や9・11米同時多発テロ、アフガン戦争など現地で取材した。山中さんの講演は録音・撮影禁止(「建物の外観」や「入り口の看板」は、撮影してもよい)ということだったので、メモをとった。メモによると、山中さんは次のようなことを話した。
 「『天声人語』を書くと体重がおちた。『天声人語』を書いているときは尿酸値が高かった。『左ききの人のためのお店』に行って、『左ききの人用の急須(きゅうす)』などを持ってみて、左利きの人は『右利きの人中心の社会』の中でこんなに苦労しているのかと思った。
 1904年から『天声人語』は続いている。戦争中の『天声人語』は『神風賦』に改題した。戦争中は戦争を賛美してしまった。『天声人語』は1人で書いていた時代もあるが、いまは3人で書いている。(新聞制作は締め切りとの闘いだ。)
 ノーベル賞の記事を書くのがつらい。ノーベル文学賞の発表は、日本時間の20時だ。日経(日本経済新聞)でカズオ・イシグロの受賞(2017年)についてふれていた(ので、反省した)。19時10分に(「北朝鮮」による拉致被害者・横田めぐみさんの父である)横田滋(よこた・しげる)さん(1932年11月14日―2020年6月5日)が亡くなったことがわかった。35分くらいで記事を書いた。翌日の読売新聞『編集手帳』でふれていた。新潟日報は社説でもふれていた。
 朝日新聞はかつては830万部発行されていたが、いまは400万部だ。ニューヨーク・タイムズ(The New York Times)は60万部だが、デジタルは1000万部をこえた。(ニューヨークタイムズはなんであんなに影響力があるのか、考えるべきだ)。『日本人ファースト』ということばに疑問を感じる。いいネタは浮かんですぐ消える傾向がある。2、3時間で原稿を書いて、その後散歩に行ったりして『さます』ほうがいいことにきづいた」。

 講演の後、「みなさまからの質問にお答えします」としてQ&A(質疑応答)がおこなわれた。5人か6人が会場から発言した。2人がAIについて質問した。
 1人が『参院選におけるSNSの影響と新聞の役割』について質問した。1人が『一日(ついたち)』というコラムについてふれ、『これからも続けていってほしい』と発言した。
 3番目か4番目の質問者が『人間はみんな平等だ。マスコミ(朝日だけではない)の天皇制に対する屈服に疑問を感じる。(朝日・毎日・東京は読売・産経・テレビにくらべればがんばっている方かもしれないが)なんでマスコミは(安保政策の右翼的大転換)に全力で反対しないのか。女性が米兵に襲われ、政府が米兵の犯罪をいんぺいする。そんな沖縄の記事をなんで本土のマスコミは小さくしかあつかわないのか』と発言した。
 これに対して、山中さんは『皇族(美智子だったか)に自分の文章を読まれるとうれしい(山中さんは、皇族に『様』をつけていた)。質問者のような意見をいう人は、社内にもいる』というようなことを答えていた。私は山中さんの答えにがっかりしたが、社内にも『質問者とおなじ考えの人がいる』と聞いて少しホッとした。帰りに、天皇制について質問した人が受付の人に「あついので熱中症などに気をつけてください」みたいなことをいっていた。
 相模原南市民ホールは小田急線「相模大野」駅から徒歩10分と書いてあったが、もっと時間がかかったような気がした。少し迷ったせいかもしれない。
 (2025年7月20日)